月さえも眠る夜〜闇をいだく天使〜

11.花言葉



宮殿で、執務のためにマルセルの執務室へ向かい、長い廊下を歩いていた時であった。
アンジェリークはこの数日間、それなりに元気になり、廊下を歩く足取りも軽い。
その足取りを、ふと止めてその人を呼びとめる。
「クラヴィス様」
かけられたアンジェリークの声の先に、さも面倒臭そうに視線を動かす闇の守護聖がいる。
それでも、何か用か、といったふうに自分の執務室に入ろうと一旦ドアにかけた手を放してアンジェリークに向き直った。
「…………」
無言のまま女王補佐官を見やるクラヴィスにアンジェリークはお辞儀をする。
ふわり、と、風が通るようなそんなお辞儀だった。
「……ありがとうございます」
アンジェリークの言葉に
「何のことだか、わからぬな」
と応じて、彼は再び執務室へ入ろうと、その扉を開く。
その扉の奥は、昔と変わらぬ、深い闇に包まれていた。
僅かに開かれた扉の隙間からその闇がさらさらと零れいでているようにさえ思える。
「いいえ、御分かりになっているはずです」
眠れない夜に、突然訪れるようになった、やさしい、安らぎの気配の理由を。
その言葉を全く無視して、執務室の扉はその主を闇に溶かし込んで静かに閉じた。
アンジェリークはもう一度、見えなくなった闇の守護聖に向かい、穏やかな風のようなお辞儀をすると、凛と背筋を伸ばしてマルセルの執務室へと向かっていった。

◇◆◇◆◇

「かわいらしい花ですね」
書類の説明も終わり、緑の守護聖の執務室を出ようとしたアンジェリークは、そう言って足を止める。
幾つもの鉢植えの置いてある明るい執務室。
今日も色とりどりの花が競って咲き誇っていた。
中に特に目立つでもない、小さな花があり、その花の紫に何故か心惹かれたのである。
不思議な色合いの紫。
アンジェリークは、心がざわめき波立つのを感じた。
何故?何故、こんなにも、心がざわめくの?

「その花?うん、綺麗だよね。僕も大好きなんだ。カティス様 ―― 僕の前の守護聖様の時からあって、毎年咲くんだよ」
マルセルも側に寄り、愛しそうに花をながめやった。
「名前は、何と言うのですか?」
アンジェリークは、花から目をそらせぬまま尋ねる。
「やつしろ草って、言うんだよ。花言葉はたしか」
そこまで言って、マルセルは口をつぐむ。
―― そう、たしか。
「ねえ、アンジェ。もし良かったらこの花、もらってくれないかな」
いきなり、そう言うと、でもいいんですか?という風にマルセルを見るアンジェリークの手に鉢を渡す。
「うん。きっとこの花も君の所で咲きたいって、言ってるから」
突然のプレゼントに戸惑いながらもあまりに心惹かれるその色に
「じゃあ、頂きますね。大切にします」
とアンジェリークは微笑んだ。


扉の閉まる音がして、執務室にひとり、マルセルは思う。
大好きなアンジェリークの笑顔がみたい、と。
美しいけれど、どこか刹那な、静かな今の微笑みでなくて、どんな綺麗な花さえも霞んでしまったあの、天使の満面の笑みを。

「でもきっと、僕じゃ何もできないから」
だからせめて気持ちを花に寄せて。少しでも君が元気になってくれるように。
かつて先輩に教えてもらった花言葉。
アンジェには言えなかったけど。
どうか
『どうか悲しまないで』
あの花は、そう語っているはず。

そしていつか、のりこえた悲しみの向こうで
「あの笑顔をみせてくれるよね?」
幸せを運ぶといわれる青い小鳥が、太陽のさし込む明るい執務室を飛びながら高らかに囀った。


◇「12・恋でなく」へ ◇
◇「彩雲の本棚」へ ◇
◇「月さえも眠る夜・闇をいだく天使――目次」へ ◇



「余計なお世話その2」
「やつしろ草」って、どっかで出てきた?というあなた
月さえも眠る夜〜闇をみつめる天使〜
6恋〜アンジェリークとクラヴィス
8花の名前
12星月の夜の夢
へどうぞ。